1月17日 午前5時46分
黙祷
今年で14回目になるんですね。
本当に長い間揺れてました。
地震だとは思いもしませんでしたよ。
ポルターガイスト?
とうとう呪われた!
って。
映画とかで見るポルターガイストみたいな状態でした。
揺れが収まってから、色んなものが落ちてきたベットから起き上がり、
電気がつかないので暗闇を見つめる。。。
静かでした。本当に静かでした。
あんなに音が無い状態は、それまでにも、また今までにも無かったです。
暗闇に目が慣れてきたら、、、
え!?
アップライトピアノが、、、倒れてる、、、
まだ地震だとは思わない私。
ここは、通常の世界ではないな、、、どこか闇の世界へ連れて行かれたのか、、、
当時は、父が仕事で四国にいて、
1階に私、2階に母の寝室、妹の部屋がありました。
母が懐中電灯で照らしながら台所の方へ行った様子
「ひゃ~~~!!!」
冷蔵庫のものは飛び出し、倒れていて、
食器棚もひっくりかえり、家中の壊れられるもの全部壊れてる、、、
ここで、さすがに呪いではないと気付く。(遅っ)
でも、まだ地震とは思えない。
関西は地震が少なく、私の記憶では震度2以上は体験した事なかったから。
近くに爆弾が落ちたのか?
とりあえず部屋から出よう、、、
家が傾いてるみたいで、ドアが開かない!!
窓も開かない!!
部屋の外から、母と妹にドアをガンガン押してもらい、
15センチくらいの隙間ができ、そこからニュ~っと出た。
火事場の馬鹿力ってこう言うのにも使えるのかな?
とりあえず外に出よう。
あ!仏壇の位牌だけでも持って、、、
もちろん仏壇も倒れてましたが、祖父と祖母の位牌が
仏間の入り口に飛んできてて苦も無く拾い上げられる。
まだ、外は真っ暗。
停電で街灯も消えてるから、本当に真っ暗。
となりのアパートのおじいさんが二階の窓から外へ逃げようとしているのを、
懐中電灯で照らして手伝ったりしているうちに、夜が明けてきた、、、
その時の格好は、パジャマに素足に運動靴。
今と同じ季節だから寒いに決まってます。
でも、まったく寒いとも思わなかった。
とにかく放心状態。でも大変な事が起きてる事は間違いない。
この先、生きていられるのか?
何かできることはしなきゃ。
放心してる場合じゃない!!
外が明るくなってきたので、とりあえず家の中へ。
あ!!電気がついた!
良かった良かった。
ガスと水道はダメだ、、、
こんな事ならお風呂のお湯抜くんじゃなかった、、、
日本中こうなのかな?
とりあえず、父に電話しよう。
う~~~ん繋がらない。
こんな時に何ですが、お腹空かない?
そうね、腹が減っては戦はできぬ、よね。
電気は使えるから、お正月のお餅をトースターで焼く。
あ、もちろん家の中は靴のまま。
ガラスをジャリジャリ踏みながら家の中を歩く、、、
お持ち入れてるタッパーはガラスじゃなくて良かったよ。
プラスチック製品は無事~。
なんて朝食を取ってると、余震が!!
キャー!!
慌てて飛び出す。
でも震度2~3くらい。
やれやれ、、、
あれ!?
今の地震で、家の傾きが戻ったみたい。
私の部屋の扉が開くよ♪
でも、、、
また停電になった!!
停電になったら、電話回線が生きてても電話機が使えない、、、
ふっふっふ
私が高校生の時に使っていた電話機まだ取ってあるのだよ。
留守電機能も何も付いてないから電気が要らないのだ!
しかも奥底にしまってあったのに、めっちゃ飛び出してきてるし。
ツー
やった~~~繋がった!!!
再度、父に電話してみる。
おっ!!繋がった!
「もしもし!四国は大丈夫?」
「こっちは何とも無い。それよりニュース速報で見たら神戸は震度5なんだって?」
発生当初は、速報で震度5と出たらしい。実際は震度7。
が、当の私たちは停電してたからテレビは見られない、、、
「これが震度5なんだ。でもね、家の中メチャクチャで食べるもの無いんよ」
「わかった、これから食材買い込んで、そっちへ帰る」
四国は大丈夫なのか。よかったよかった。
これが本当に地震なら震源地はどこだ?
もっとひどい地域があるんだろう。
自分たちがいる所が最もひどい地域の一部だとは、この時は考えもしませんでした。
さて、、、
何から始める?片付けるって言っても、、、
とりあえず余震で2階が落ちてくる事を想定し、
上に2階の無い1階部分を片付けて、今日寝られる所を確保しようという事になりました。
母が寝ていた寝室へ行ってみると、、、
タンスが吹っ飛んでる、、、
よく生きてられたよね。打ち所悪かったら骨折してるよ。よかった、よかった。
片付けは思うようにはかどらず途方に暮れてた夕方5時ごろ、父が帰宅!!!
わ~~~~!!!おかえり~~~~!!!!
当時はまだ明石海峡大橋が無く通常ならフェリーを使うのが早いのですが、もちろん運休。
そんな訳で、瀬戸大橋を使って岡山経由で芦屋まで帰ってきたのですが、どんどん道路がひどくなる、、、
高速道路が倒壊している映像を見たことある方、多いと思います。
あれ、うちの家から南へ直進した辺りで起きた事ですから!!
そんなのを見た父は仰天!
これは、もうアカンかもしれん、、、
でも、大はしゃぎで車から食材を運び出す私たちを見て一安心。
さてと、この食材お隣にも持って行こうよ。
そうね、そうね。
よく、ドラマやらで災害で物が無い時に皆で分け合う美談あるじゃないですか?
あれってホントにありますよ。
普段なら強欲なこの私が、ご近所に配り歩いてたんですから。
なんでしょう、、、連帯感?そんなものがありましたね。
17日の夜は、余震が多くて眠れません。
昼過ぎに電気はまた戻ったので、全員でコタツに靴を履いたまま、
上着を脇において、いつでも外に出られる状態で仮眠していました。
私たちは、この後生きていられるんだろうか?
と考えながら、、、
1月17日②へつづく